まっすぐ歩くのと電車の客層

人間には大きくわけて、バージョン@1と@2がいると感じる通勤時間。

まっすぐ歩くという選択肢以外持っていないバージョン@1。相手の動きに合わせて避けて歩けるバージョン@2。

バージョン@2の方が、選択肢が増えて優しさを感じることができたり、

お、トリッキーな動き!!って感じで昔から生き続けてる生き物って結構複雑な動線で生きてるよなぁって思ったり。

あの複雑な動線が集合体になるとちょうど良かったり、生きる確率が上がるとかメカニックな部分なのであろう、ろうろう。

選択肢が多いし、バージョン@2の複雑性は、優位な存在、レベルひとつ上じゃね?って思ったりする。

んですが、

デメリットもある。

バージョン@2の割合が増えれば増えるほど、日本という人格の血流が著しく悪くなる。

みんながみんな、譲り合ってカケル譲り合って。ユズユズしちゃうわけですよね。

そんなことしてたら、一向に前に進まない。

ユズユズ中になっちゃう。

そらは、停滞感を生み出して、何か凝り固まったワールドをガー。ってことに。

そうなると、バージョン@1の前進あるのみも一定数必要なんじゃないかと思えてくる。

所謂、レイヤー1である。

レイヤー1はとにかくシンプルにゴリゴリ物事を前進させることに価値がありそのセキュリティによりセーフティネットワークが構築され、

なんとなくジャパンが築かれてゆく。

前進あるのみ同士のぶつかり合いは野蛮ではあるけど、とにかくぶつかり合い合わない世界では、気づくと手の届かないところ上流なんていう天空の城なのか、雲の中のポエムなのか

わからない、気づかない、諦めない、そうパブリー。

ぶつかり合うことによる、エラーが、新たなエネルギーを生み出す。

そんな原始的なエネルギーレイヤーの上にセカンドレイヤーのトリッキークネクネユズユズ世代が、スタンドアロンコンプレックスしております。

電車に乗っていると、すごく線よって色があるなぁって思う。

車内のシート色のせいかもしれないし、臭いかもしれないし、

おお!丸ノ内線のカホリ!!!

じーじゃしゅ!!

東西の線と南北の線と、丸描いてちょんちょんな線と、

じゃー、そのような違いというのは、一人一人に感じるかといえばそんなことはなく、

そこに存在しているあなたに私は、見えていますか?

何についてつながりを感じ、世界のコンプレックスをエンコードからのデコードしているのですかと、胃を流す涙。

ああ、少しは買っておけばよかったメディカルアロマ。住む世界について悟られることなく、

満たされる世界と納得の世界線。

納得と満たされるの円形が一致している人はベリーベリー幸せな人生だったりするのだけど、

結局自分が何者なのかを考える瞬間というのは、井戸の底から空を見上げる春歌。

空も飛べるはず。

集合体の中で、どこの世界にチューニングしているのか。

僕は通勤時間です。

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